大人の恋愛「不倫」をスピリチュアルで考える

現在の日本では「不倫」に対するイメージは“悪”であり、道徳的な観点から考えても「正しい行動」ではありませんよね。芸能人や政治家。様々な立場の人々が不倫報道によって今まで積み上げてきた人生を台無しにされています。

不倫は「浮気をしている本人」「浮気をされた妻(夫)」「浮気相手」の三者が傷ついてしまいます。人を心から愛する事に幸福感を感じながらも、一度は愛を誓い合った相手を裏切る事に後ろめたさを感じるものです。

「自分は愛されているのだろうか」
「間違っているのに、別れられずにいる自分が嫌になる」
「本当に自分を愛してくれているのならば、結婚相手と離婚してくれれば良いのに」
「浮気相手の妻(夫)に申し訳ない」
「結婚したのに、どうして自分以外を好きになってしまったのだろう」
「裏切られて辛い」

など、三者それぞれ感じる事は違います。
浮気をしている立場からすれば、浮気が「いけない事」だと頭でわかっているのにやめる事ができない。それは心から相手を愛してしまっているから・・・。

さて、このような問題をスピリチュアルな観点から考えると、どうなるでしょうか?

スピリチュアルでは「善」と「悪」というものがありません。「喜び」や「悲しさ」も同じで、対局するもの自体が本来存在しないのです。

するとどうなるでしょうか。「心から愛している人と不倫をする事で幸福感を得る」事に善も悪も存在しないので、何も悪い事ではなくなりますよね。
「この人と一緒ならどんな困難も乗り越えていける!」そう思える程、愛しているというのはとても素晴らしい事なのです。愛を感じる事、それはすなわち神を感じる事に繋がります。

結婚制度というものは「人間」が決めた法律なので神が定めたわけでもなければ、愛から生まれた本質的なものではないです。

しかし、好き勝手に自分の欲望のままに生きる事は美しい事でありません。私達は地球に生まれ、日本で生きています。定められたルールの中でいかにして生きていくかという事が重要なのです。そしてこれこそが“学び”なのではないでしょうか?

スピリチュアルな観点から考えると「不倫」は悪ではありません。心から愛する人と一緒に過ごしているだけですから。

でも、だからと言って不倫を正当化するのは少し違いますよね。
自分の選んだ道によって家族や友人を不幸にしてしまう事になりかねません。

「愛があって結婚し一緒になったこと」「愛があって不倫をしたこと」「愛が合って別れてしまったこと」。結局最後は「本人の責任」という事になります。

大切なのは「愛と本人の理性のバランス」です。制限がある地球で生きる私達には少し難しい問題ですが、“今後悔していること”が後になって“あれで良かったのだ”と思える人生を送りたいものですね。

おすすめ